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夫婦二人とおばあちゃんの小さな畑と台所 タリトル ツマの雑記録

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夏から秋へ。

先週末の直売は、
普段あまりお見かけしない方から、立て続けに、
「キュウリありませんか?」と聞かれた。
皆さんもれなく、自転車にまたがったまま。

「すみませんウチは露地なので、
もう終わってしまいました。」
とお応えすると、
「そうですか。」
と、走って行かれた。

一人の方は、
「高くなっちゃって、手が出せないよ!」と。

立場上、
「そうらしいですね~。」
とお応えしましたが。


季節の変わり目や、悪天候が続くと、
こんな場面が増えます。

高くなっちゃってって。
手が出せないって。

まさか、一本千円するわけじゃあるまいし、
まさか、ホントに手が出せないのでなく、
キュウリに、しかもついこないだまであんなに安かったキュウリに。
ということなのでしょう。

なら、食べなきゃいいのに。
欲しいから、お探しなんでしょうに。


安定して、大きさや数量を作れないウチの野菜は、
食べて頂けるのもいっとき、
値段、量は出した時から仕舞いまで、変えませんが、
普通、日々変動しています。
当たり前です。
でなければ、
北から南までの野菜が、あんなにスーパーに並ぶはずがありません。

先週の急な冷え込み。
みなさん、肌掛けを一枚足元に置いたと思います。

野菜も同じ。
丹精した野菜を寒がらせてはいけないと、
農家の人は皆、あわてて一枚掛けたと思います。
間に合わなかったり、足りなければ、それで終わり。


母が来てから、ラジオをよく聞く。
今日、分けとく山の野崎料理長が、
「旬のものをいただくというのは、命をいただくことだ。」
と言っていた。


旬問わず、一年中、目にするので、
お忘れの方もいらっしゃると思うが、
野菜の寿命は数ヶ月。
それぞれに、生まれ故郷があり、
育った季節があります。

それを度外視して求めるなら、
多少の値段は・・・。
立場上、最後までは言いませんが。


ラジオの続き。
「だから、ご飯をいただくときは、自然と手を合わせたくなります。」


日々の糧を与えられ、いただきます。
作ってくれた人に、いただきます。
いただく命に、手を合わせ。

IMGP9131.jpg
走り・旬・名残りが同時に並ぶのも、
季節の変わり目の特権。






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[ 2014/09/10 01:02 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)
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